「人月の神話」という有名な本がある。なぜ月なのか。日ではないのか。かつての腕時計は毎日合わせる必要があった。誤差が日差何秒というものだったからだ。クォーツ腕時計の登場で誤差は月差になり、時刻合わせはたまにすればよくなった。それとは逆に、人月ではなく人日にするべきである。

そもそも作業工程を管理するのに月単位などというところが他にあるか。ソフトウェア開発だけが桃栗三年柿八年の時間感覚なのは問題ではないのか。昔の小説に「80日間世界一周」というものがある。これは鉄道や船による旅である。しかし今の世界旅行なら飛行機を使うだろう。そして80日間ではなく80時間になるはずだ。


ソフトウェアの部品化ということが言われている。しかし部品化しようする場所を間違えている。部品化するべきところは、下流ではなく上流なのだ。人間が自由な自然言語で仕様書を書くことが諸悪の根源である。仕様書作成を標準化して誰でも簡単にできるようにするべきなのだ。

ボルトとナットという話がある。今ではボルトとナットは標準化されていて、設計では単に型番を指定するだけである。しかし昔は違ったのである。その都度ボルトとナットを設計していたのだ。考えてみれば聖書のノアの箱舟では動物が種類ごとに乗船している。雄と雌とはまさにボルトとナットである。これこそ最新技術などと思っていたら主である神は創造のはじめからすでに実現していたのである。


人月を人日にするためには工程の大幅なカットが必要である。どこをカットするのか。それは上流工程である。いちいち仕様を作成するから日数が月数になってしまうのである。すでに標準化されている中から選べば人日が実現するのである。

革命とは何か。それは下層階級が上流階級を駆逐することである。いわゆるIT革命は上流階級からのものだった。あれは偽物である。ここからが本物のIT革命である。さあ同志諸君よ立ち上がれ。…なんちゃってな。面白かったかな。